諸手船神事

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美保関の凍てつく海に漕ぎ出す2槽の古代船 2012年12月3日 午前9時頃?午後3時頃まで

美保神社の青柴垣神事とともに、『古事記』などが記す事代主命の国譲り神話に関係した神事。古くは八百穂(やおほ)の祭りとして、陰暦11月中の午(うま)の日に行っていました。

日本人の心のあり方を示す神事として関心をよび、多くの方々が参加をしています。日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士は二度も立会い、町の人に「ここに日本人の原点がある」と感想を伝えています。

国譲り神話

美保神社は美保関の中央部にあり、大国主命(だいこく様)の長男、事代主命(えびす様)とその母神三穂津姫命をお祀りする二殿連棟(美保造り)の特殊なお社です。

事代主命は父神を助け、国土経営、産業福祉の開発に尽くしていました。 天孫降臨に先立ち、高天原の使神建御雷之男神が出雲国稲佐の浜に下り、大国主命に「この国を皇孫に奉れ」と伝えたとき、大国主命は「出雲の国の祭事は美保関に住む長男の事代主命がおこなっておりますので、長男の意見を聞いてからお答えします」と申し、使神を諸手船によって美保関に遣わし、意見を求めたのです。

事代主命は父神に対し「この国は天つ神の御子に奉り給へ」と答え、大国主命はその意見通り国土を皇孫に奉献しました。このことは国譲りとして現在なお伝承されており、青柴垣神事及び諸手船神事はこの国土奉献(国譲り)に起因して行われる神事です。

神事の大要

天孫降臨に先立ち、天神の使神が出雲の国に降り、大国主命(出雲大社御祭神)に「この国を天神の御子孫にたてまつれ」とお伝えになった。大国主命は三穂之碕で魚釣りをされていた事代主神(大国主命の御子・美保神社御祭神)のもとに、熊野諸手船(またの名を天鴿船)をもって使者稲背脛命をお遣わしになり、ご判断を仰がれた。事代主神は父神に対し「畏しこの国は天神の御子に奉りたまへ」と答えられ、ここに大国主命は出雲国を天神の御子孫に譲るご決意をなされた。

諸手船神事はこの記紀に伝える「国譲り」の故事に因み、御祭神の恭順忠誠のご事蹟を偲び、古型を保持する諸手船を浮かべて奉仕する神事である。 古くは霜月の中の午の日に国家安泰と五穀豊穣・大漁満足を祈願する八百穂祭として行われ、現在は新嘗祭と共に12月3日に斎行されている。

神事の大要は、先ず11月27日の末社・地主社(御祭神・事代主神の御陵と言い伝えられる)の宵祭から始まる。

12月1日、御注連縄懸式。同日夜、客人當(客人社の當屋)が神楽を納め参籠する。

前日12月2日午後、末社・客人社(大国主命を祀る)の宵祭を行う。これを神事の前儀とする。本社「宵祭」の儀は拝殿の前で庭燎を焚き上げ、氏子の頭人・両當屋(一ノ當・二ノ當)・客人當・休番2人が拝殿に著き、次に宮司以下が昇殿し、開扉、奉幣の儀があり、次に大御前(左殿、三穂津姫命を祀る)・二御前(右殿、事代主神を祀る)に諸々の献饌をし、祈願、閉扉の後、宮司の司舞、巫女舞があって終わる。

明けて12月3日、当日になると、午前中新嘗祭があり、これを終わり諸手船神事を行う。 氏子は午前中に潮掻きをし、午後になると頭人・客人當は荒布小素襖・帆懸烏帽子で、また両當屋・休番・上番(頭人を終えた氏子)・準番(當屋を終えた氏子)達は裃で社頭に参集し、禰宜以下の神職に付いて、大国主命を祀る客人社に参向し、祭典を終えた後、会所で直会(拝酒芋膳のことあり)がある。

いよいよ定刻(午後2時)になると、宮司以下神職が昇殿し、開扉、奉幣すると、裃着の庄屋・年寄代が小幣を捧げて上ノ神楽を納める。 次に宮司は本殿の階を降り、客人社に向かって設けられた神籤の座に着く。 そして諸手船2艘に分乗する者として真剣持ち(両當屋が当たる)1人ずつ、大脇(大櫂の脇子の意味で客人當と休番とが当たる)1人ずつを指名し、改めて神籤によって、上番中から大櫂(梶取りの役)1人ずつ、準番中から檝子6人ずつを宣示する。

真剣持ち 1名 船の舳先に立てる3つ股のマッカという剣(木鉾)を持つ役
大脇 1名 大櫂(舵取り)の補佐役
大櫂 1名 舵取りの役。 高天原からの使者に擬する。
檝子 6名 漕ぎ手。(水夫)

その声に応じて檝子着の奪い合いが始まり、前に置かれた檝子着を自分が取ろうとしてお互いに競り合い、ついに誰かが奪い取る。 かくして、真剣持ち(帆懸烏帽子、額に注連縄を張る、白衣・四幅袴、小櫂・俵薦を抱え真剣を捧ぐ)を先頭にして、檝子(服装同上、小櫂・俵薦を抱える)・大脇(平禮烏帽子をかぶる、他の服装同上、大櫂・小櫂を俵薦に包み抱える)・大櫂(平禮烏帽子、額に注連縄、白衣白張、扇子を捧持)が2列に立ち宮の灘に下向する。 宮司(束帯)・侍者(太刀持ち)・典礼・賛者、並びに頭人以下がこれに続き、宮司は御灘の幄舎に入る。やがて大櫂以下9人ずつ、計18人が2艘の神船に分乗し、対岸の客人社の麓まで漕ぎ進み、同社を遙拝して宮灘に漕ぎ戻すこと三度、互に遅速を競う。やがて上陸すると、二人の真剣持ちは競争して神門に達し、真剣を捧げる。

次に御祭神に擬する宮司と使者に擬する大櫂との間に應答祝言の儀があり、再び両船は白波を蹴立てて海上に大圓を描き漕ぎ競い、漕ぎ廻り、縦に三度乗り戻す。その間、互いに相手の神船に「ヤアヤア」と掛け声を出しながら櫂で海水を掛け合う。 このためこの神事を俗に「水掛け祭」・「ヤアヤア祭」とも言う。

○應答祝言の儀

競り合いつつ船が宮灘に着くと、使いの神に擬した大櫂役は櫂を 横に置き、起立し、扇子を手にして本社を礼拝。事代主神に擬し た幄舎内の宮司に対して「タカー三度」と叫ぶ。 続いて檝子を含む一同は「乗って参って候」と大声で唱える。 これに応じて宮司は「天地長久、国家安泰、タカー三度、めでと う候」と祝言を述べる。 続いて全員柏手を打ち、礼拝する。

海上の儀が終わると、宮司以下帰殿、宵祭に供進したお供えを撤して閉扉、客人當御慶びを申し、撤下品頒賜の儀があり、会所で直会式(真魚箸式あり)をすませて終わる。 *真魚箸式=古式の直会

諸手船神事は青柴垣神事と共に全国的に有名な御船神事であり、いろいろの故実と習俗が含まれ、近郷近在では、このお祭りに逢うと病災を免れると言い伝えられている。

なお、この諸手船はこのように毎年の神事専用の祭器である。 前記古典に見る熊野諸手船の系統を引くと言い、新造の際にも原型を確実に造り伝え、よく古型を遺し、昭和30年2月3日付、「くり抜きおもき造り」として、国の重要有形民俗文化財に指定されている。

船体の構造は樅の大木をくり抜いた主材を接合するもので、外側は墨を塗り、その上を椿油で磨き上げる。船体の要所に神紋を彫り、神事のとき船首に真剣を立てる。現在の諸手船2艘は、昭和54年11月18日、39年ぶりに竣工をみたものである。

開催場所

松江方面から

1.松江駅前ー約40分(一畑バス 美保関ターミナル行)ー終点:美保関ターミナル 時刻表はこちら

2.美保関ターミナルにて美保関コミュニティバスに乗り換え

3.美保関ターミナルー約20分(コミュニティバス)ー美保関(美保神社) 時刻表はこちら

米子方面から

1.JR米子駅ー45分(JR)ーJR境港駅

2.JR境港駅ー11分(コミュニティバス)ー宇井渡船場

3.宇井渡船場ー15分(コミュニティバス)ー美保関(美保神社)

「諸手船神事」についてのみなさんの声

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    久々の日中のお仕事です(^^;) 青島でヒラマサ、アカミズ、アカヒラの釣果がありました☆

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  • [千鳥丸|美保関町諸喰の遊漁船&渡船]

       高場島ではアカミズ34cmの釣果がありました☆ 青島ではアカミズ多数の釣果がありました☆ NS釣りクラブさん今日はありがとうございました(^^)  

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