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厳しい潔斎1年間。神様に近づく青柴垣神事の「當屋」

こんにちは、美保関の魅力を伝え隊メンバーの、いのっちです。
第一回目のレポートは、去る4月7日に執り行われた青柴垣神事についてのご報告。

青柴垣神事の詳しい説明は、割愛させていただきます。ガイドチラシ(PDF)もしくはこちらと合わせてご覧ください。

今回のわたくしのテーマは「當屋(とうや)」

神事で當屋と言えば、お世話をする方を一般的に言いますが、美保関の青柴垣神事の當屋は、1年間の厳しい潔斎のお勤めがあるんです。具体的には、鶏肉を食べたらいけない、毎日夜の海で体を清めるなど。

aofushigaki_2013_001きっとそういう方は、神社関係の方だろうと想像されるかもしれませんが、違います。

一般の美保関町民の方なんです。美保神社のくじに当たった氏子の方。今年の當屋は、福間勇樹さん(左)と西垣(名前)さん(右)。お二人とも独身&イケメンでおられます。

世の中、パワー、スピリッチュアルブームが続いておりますが、

この神事では當屋のお二人がまさにそのパワースポット。

少し大げさかもしれませんが、厳しい潔斎を勤め身も心も清められた身体を依り代として神様が降りてこられる。と言われているのです。

さぁ、ではそのお姿をこれからご紹介いたしましょう。

当日は13:30頃まで偏木(ささら)という役の子供達が、祭初めのお触れを告げるトーメーを7往復半回繰り返します。

子供達の声が小さな港町中に響きます。この日は、爆弾低気圧。強風雨の中、子供達はカッパをかぶりながら頑張りました。

その間、當屋のお二人は会所にて備えます。話してもいけない、目を開けてもいけない。すべて脇当屋という方がお世話をします。

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時間になると、社殿に参進、お清めの儀式を行います。1年間の潔斎、前日からの断食ため両脇を抱えられないと歩けそうにありません。

会所の儀式を特別に撮影させていただきました(無音です)。

 

そして、いよいよ事代主神が国神から天神へ転じる神事のクライマックスであります秘儀、御船ノ儀へ

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丁度その時、厚い雲の切れ目から当日唯一の太陽の光が美保関湾に差し込んできました。なんて神々しい瞬間でしょう。

「この国は天照大御神の御子に奉献なさってください」と答えた事代主神の御気持ちに想像が向かいます。

「神事自体の意義や儀式の意味合いについては諸説あり、解き明かす事は非常に困難です。」とパンフレットに記載されている通り、神事の解釈は人それぞれです。

ああでもない、こうでもないと、日本国の始まりに思いを馳せながら、家族やお友達と神事を眺めるのが楽しい過ごし方かもしれません。

当日は強風と高い波のため、美保湾に出ず、着岸のまま神事が執り行われました。

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そうしてる間に秘儀は終わり、天神として地に足を着くことなく帰殿となります。

 

最後に、當屋を勤められた西垣さんにインタビューをしました。

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『この1年間どのような潔斎をされてきたのですか?』

西垣さん:色々と潔斎はあるのですが、例えば、毎日夜中に禊ぎをして神社へ参拝(日参)・鶏肉鶏卵を食べない・家族と同じ食器を使わない・仏壇を閉じる・死穢を回避するなどです。そのほかにも自分は結婚はしていないのですが、妻帯者は夫婦別床や男女間のまぐわいも役が当たっている期間は禁止されます。その他にも、多くのしきたりがあり日々精進しながら神事奉仕の為の準備をしていました。

『潔斎中、一番印象に残っていることはどんなことですか?』

西垣さん:とくに毎日の神社への日参と鶏肉・鶏卵を食べなかったことです。日参は毎日のことなので、雨でも雪でも、夏でも冬でも必ずしないといけませんし、
仕事の出張のときどうしてもできない場合は前後の日に2回するなどしていました。鶏肉鶏卵に関しては美保神社の祀神である事代主(えびすさま)が鶏が嫌いということで1年間食べられませんでした。牛肉・豚肉は食べていいですし、鴨肉や鶉の卵など、鶏以外は食べてもいいので、そんなには困らなかったんですが、友人と外食をするときなどは必ずといっていいほどから揚げなどの鶏肉や卵料理がでますので、友人にも気を使わせてしまいました。
また、毎日仕事には姉が弁当を作ってくれるんですが、弁当に鶏肉鶏卵を使わずに毎日作ってくれて迷惑をかけましたが、いつも工夫をしてくれてとても感謝しています。

『神事の当日に神様が降りてこられた時はどんな感覚でしたか?』

西垣さん:それまでの前日からの断食を長時間の目を閉じての正座(祗候)で体力的にも精神的にもギリギリのところでした。ずっと目を閉じていたので周りの様子は全然わかりませんが、御船での儀式が終わり、御船から降りて社殿へ向かうときにはまわりの観衆の方々の歓声や熱気をすごく感じるとこができ、そのパワーを吸収しているような気がしました。
不思議とさっきまでの感覚とは違い体力精神ともにベストコンディションになった様な錯覚をうけました。儀式のときに神様が自分へ降りてこられてるとは思うのですが、実際にはそれを期待している観衆の方々や神事を一生懸命執り行っている地元住民の気持ちやパワーが僕をトランス状態へ持っていってくれたんじゃないのかなと今考えるとそう思います。

『1年間のお勤めが終わられたわけですが、今どんなお気持ちですか?』

西垣さん:今は感謝の気持ちでいっぱいなのと、これからが当屋制度の始まりでもっと精進していかないといけないなと思っています。この1年間、何も知らない自分に家族や氏子の先輩方、地元の皆さんが沢山手助けや協力をしてくださいました。
美保関の方々のこの神事にかける思いが自分の思っていた以上に強烈で、みなさん個性の強い方が多いんですが、その時にむけて一つになっていたと思います。
本当に感謝感謝です。こんな町は中々ないんじゃないかなと思いましたし、美保関に住む人たちの暖かさを改めて感じました。それにはこの神事が美保関にあり、今までその制度を残してきたからこそ、この今の美保関があると思います。
制度がくずれても、人がいなくなっても残していくことはできなくなります。現在少子高齢化が目に見えてわかり、地元の子供たちの数が激減してきています。
後継者である若者がいなければ、制度も続かせることはできなくなるので、これから自分にできることは、町の為に一生懸命にやり、それを子どもたちに見せていくこと。子どもたちは将来他府県に出ようとも、いずれは帰ってきたいなと思える町にしていくことと思っています。
結果、僕はそう感じてこの町へ帰ってきました。神事を終えて今、改めて美保関という町とそこに住んでる人たちが大好きになりました。


今年もお二人の當屋が、鶏肉を食べず、死穢を回避し、毎日真っ暗な日本海で禊ぎをして参拝する。そんな厳しい生活を365日、町民の方に支えられながら休みなく勤め上げられました。

美保関町には遊技場もなければショッピングセンターもない、物質的には足りないものが多いですが、昔の日本人が持っていた『神とともに生きる』気持ちと風習が町民の中に面々と受け継がれ、今も息づいています。

美保関にお越しの際は、風景やグルメも十分に楽しめますが、ぜひ町の人とお話されることをおすすめします。きっと驚きがあるはずです。

そうです最後に、神事の後は美保関の中にある福田酒店に行かれますと神事のディープなお話が聞けますよ。いのっちでした。

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厳しい潔斎1年間。神様に近づく青柴垣神事の「當屋」」への1件のフィードバック

  1. 市原千絵

    はじめまして、市原と申します。私は現在東京都に住んでいますが、山陰出身で、美穂神社は最も好きな神社で、折々にお払いなどいただいて参りました。本日(2013.4.24)朝のNHKで青柴垣神事のことを知り、感動しました。当屋の西垣さんの修行、美しいとしか言えません。いてもたっていられずメールしました。深夜の神社にデートで来て潔斎を邪魔するカップルに対しては、この、バカップル!と他人事ながら怒りました。
    朝から良いものを見せていただきました、ありがとうございます、美保関を応援します。余談ながら、美輪明宏氏の境港でのコンサートに行ったとき、美保関のことを「あそこはいい神社よ」と言っておられました。
    みなさんのご健勝をお祈り申し上げます。

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